2013年5月14日火曜日

フェイスブックの話♪

私がフェイスブックを始めたのは、2010年に台湾に住み始めた時です
語学学校に通っていた当時、国籍の違うクラスメイトや先生と繋がって
色々な連絡をしたり写真を見せ合ったりするのが面白く、また便利でした

日本に帰ってからはあまり使う機会がありませんが、それでも台湾に居る間に友達になった色々な国の人や、台湾人の友達と連絡を取り合うのに重宝しています
自分の本名と写真をあげるので日本では扱いづらい事もあるんでしょうが…
とりあえず私はあまり日本語は書かず中国語が多めのせいか、あまり変なちょっかいはかけられてません(*^^*)

そしてこれは秘密のお話なんですが…
フェイスブックはmixiと違って足跡が残らず、それで私は元友人のページをよく見に行っています
もちろん話しかける事も無ければ『いいね』を押す事もありません
それでも動きが気になるのです

元友人については話せば長くなります
かなり縮めてですが書いて行きたいと思います

小学1年の頃、私は北海道に居ました
同じ小学校のクラスメイトの一人の女の子が私と友達になってよく遊んでました
覚えているのは、お誕生日のプレゼントに小さな引き出し付き3段ボックスを送ったのですが
数ヵ月後に他の友達も含め数人で遊んでいた時に「あ、この引き出し1個無くしちゃったんだ~」と何の悪気も無く言われた事です(^^);;私がプレゼントした物と言う事は忘れていたようでした(笑)
これは本当に小さな事ですが、私と彼女との付き合いは終始こんな感じでしたね;;

小学2、3、4年は東京の小学校に居たので音信普通、小学5年になる頃再び北海道の同じ小学校に入学、その時に彼女と再会し普通に友達として遊びました
クラスは違ったしお互い昔の事をそう覚えている訳じゃないけど何となく遊んでました(笑)
お互いクラスに親しい友達が居なかったからかも知れません(^^);;

何と言うか…

彼女の個性は変わっていました
例えば小学校の頃は急に「幽霊が見える」と言い出したり「戦時中の霊が乗り移った」と言い出したり
中学に上がっても友達だったのですが、その頃は俗に言う「ためらい傷」を手にいっぱいつけて見せてきたり
私から見れば彼女は一人っ子で可愛がられている上両親も揃って居るし、虐待もされていないし何がそんなに不満なんだと思いましたが(^^);;

彼女が太っている事をクラスメイトの男の子にからかわれ、落ち込んでいた時に「気にする事ないよ、私はあなたの見方だよ」みたいな事を言った事がありましたが
それがどこをどう歪曲して先生の耳に入ったのか、私は呼び出され「事態を悪戯に悪化させるな、人の不幸に便乗して面白がるな」と言われた事がありました
彼女は先生に何を言ったのか、一体どうなってるんだとその時は思いました;;

彼女の性格は一言で言うと「それで良いのかよ!?」と言う感じでしたね(笑)
そして私もまたそんな感じでした(^^);;今はその頃と比べて周りが少し見えるようになったぐらいで、それ以外はあまり変わっていないかも知れません(汗)

高校は別々だったのですが、家が近かった事もありたまに遊んでました
私はその時は大分荒れていたのですが(笑)それでも普通に付き合ってくれました
高校を卒業したら私は東京の父の元へ行く事が決まっていたので、最後の北海道の思い出に『YOSAKOIソーラン』に参加しようと言う話になり、彼女と2人で1つのグループに入りました
私の最初で最後の『ヨサコイ参加』の思い出です(*^^*)

練習は夕方から夜くらいの時間で、まぁ学校帰りにご飯を食べて行く位の丁度良い時間だったのですが
練習会場までは距離があったので、私は彼女の父親の車に拾って貰って一緒に行ってました
会場に着いて練習の合間に2人で喋ったり、年上のお友達も出来ました
そこそこ楽しかったのですが、急に彼女が迎えに来てくれなくなりました
友達を止めるキッカケになったのはそれです(^^);;

ある日私はいつものように迎えに来るまで昼寝をしようと家で寝ていたのですが(それもどうなんだ)
迎えに来ず、彼女からの電話で起きたのです(それもまた…)

開口一番「何してんの?もう練習始まってるよ!!何で来ないの?」みたいに言われ
私はまた寝ぼけながら「え?うん…」みたいな曖昧な返事をしたと思います

正直当時の自分は自分で言うのも何ですが本当にダメ人間で、廃人以下の暮らしをしていて
彼女の気に触る事も平気で言っていたのでしょう。心当たりはあります。

まぁ、簡単な話嫌われたと言う事ですね(^^);;
そしてこう言った事はわりと何度もありました
急にそうなり、会わなくなり、久々に会えば普通に話し、元に戻る…
そんな感じで何となくつかず離れずな関係だったと思います

しかし私もそろそろ彼女とは縁を切りたいと思っていたのです
彼女と会うと自分がダメ人間である事をいやがおうに見せられる様な気がしたからです
多分私達は良く似ていました
家族構成も生い立ちも全く違いますが、人として根本にある何かはとても良く似ていたんだと思います
だからこそ、自分がダメなのは彼女のせいだぐらいに思っていたのでしょう。
今思えば、彼女もまた同じ様に思っていたのかも知れません
あるいは正反対に思っていたのかも?

そんなこんなでヨサコイが終わり次第連絡を取らなくなり、東京に出てからは全く彼女の事は忘れていました

それから台湾に行き、長崎に来て、最近フと思い出しフェイスブックで検索したら居たと言う訳です
最初は写真を公開していなかったのでわかりませんでしたが、途中から彼女の顔写真がアップされて確信しました
でも私自身はもう彼女と関わり合いたくなかったので、自分のアカウントから友達申請をしたくなかったのです
そこで毎回名前を打ち込んで見に行っていると言う訳なんですが

関わりあいたくない元友人の事を名前を毎回打ってまで見に行って知りたいと思うなんて
自分で自分が解りません(^^);;

彼女も既に結婚したようで、ただ幸せに暮らしている様子を見たいと思ったのです
色々トラブルに巻き込まれても居るようですが、今の彼女はどう言う感じなのか知りたいと思っているようです(自分の事なのに;;)

私の持論では「ろくでもない人間にはろくでもない人間が集まる」、一概にそうとは言えませんが
自分が堕落していれば堕落した友人が出来、自分が活動的であれば活動的な友人が出来るものじゃないかと思っています

彼女は最近親しい人に裏切られたようです。人を裏切るような人間が親しい人間として彼女の近くに居るなら、それは彼女自身が人を裏切るような人間でありその様な生活をしているからではないか?
私の持論ではそうなります。しかし、フェイスブックの文章だけでは本当に本心で言っているのか受け売りなのか解りませんが、彼女は自分を裏切った人間に対し感謝と謝罪を述べ、更に幸せを願うと書いていました

私が当時を振り返り自分をダメだったと思っているように、彼女もまた色々成長し、変わっているのかも知れません

そうだったら良いなと思っているのです。

何故そう思うのかは解りません。

私は多分この先も彼女と関わる事は無いと思いますが、彼女の幸せは多分願っています。

彼女の幸せを最後まで見届けたら、私は見に行くのを止めようと思っています

北海道にはほとんど帰りませんが、この間結婚報告のため旦那さんと2人で北海道に行った時(実に7年ぶり)
何となく寂しい気持ちになったのを思い出しました。

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